しっかりとした言葉

  • 2018.04.25 Wednesday
  • 00:11

 

 画像は昔のモッキンバード。良く弾いた。

 

 

 

今日の授業はオール英語。

 

高2仮定法

 

中3現在完了

 

高3受験英語

 

 

どの授業も講真館の魂とスキルを込めた。

そういうものしかやらない。

込められていない言葉などただの残骸。

 

生徒の中で使える武器として絶対に稼働しない。

だからやる意味がない、

で、やらない、それだけでしかないのだ。

しゃべればいい、では断じてない。

貫いているもの次第で言葉は

生き死にが決まる。

 

 

政治家や官僚の言い逃れ言葉を思い出そう。

あれらに魂がこもっているだろうか?

こもっていないだろう。

では、あれらの言葉から論理や説得力が

生じるか。そんなことはない。

 

 

明らかに言葉と魂は接続している。

授業でこの2つの接続を考えずに

話すことは私にはありえないしできない。

 

数学的な定理でもないし百科全書的に

どこかに記載されているわけではない。

 

だが私は自らを通して言葉にエモーションや

流動を与えたものを講真館で講じてきた。

 

あらゆる状況に地味な変化や劇的な変化が

起きてきたかもしれないが、それらはすべて

私の一貫したストロークから来ていたことは

確かであろう。

 

「無味乾燥に見える言葉や素材に命を与え

それを生徒の魂に語りかけること」

 

これは情報化社会サバイバルで必須。

その先陣をさらに進みたい。

 

 

 

明日は振り替えや補習をたくさんやる。

上記の目的の「部品」としてそれは

行われなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんでだろう?

  • 2018.04.22 Sunday
  • 01:32

大好きなテツandトモみたいな

入り。彼らも昔から好きです。


こんな時期に問い合わせがまだある。

不思議だがいいと思う。

「やりたいときが旬」だから。


時節を考えるのがオートマチック

であるよりは

自分の必然性に忠実なほうがベター。


自己の可憐な行動原理は自分だけの

もの。行動はそれを考えてから

でもいいだろう、賞味期限さえ

逸しなければ。




個人的なことを書こうか。

昔から「表現したい過剰をもった

芸術家や文筆家」を愛好していた。



情熱と技巧の均衡した奇跡的な瞬間

に成立した作品に何かがある。

それは保身やしがらみとは関係ない

世界、表現者が自己や対象と厳しく

対峙した世界から生ずる火花に近い。


だからあらゆる行動に

「必然性があるのかないのか」

を私は自然と察知するのである、

いや見えてしまう、わかってしまう。

必然性がないとちと悲しい。


よって塾に通う必然性を感じてから

問い合わせていただくのは

いいことだと思うし、その価値を

講真館に見出だしてくれたことを

光栄に感じる次第である。


「素でどこまでいけるかな」

こうなってきているね、今。


カッコつけのオプションは不要。

寒ければ、自分と対峙して生じた

火花で闇に葬った暗部を照らせば

良いしわずかな熱を火花に

感じればいい。


シンプルなことをシンプルにやりたい、

季節はずれだけどガチな問い合わせに

こういうアツい衝動を見る。

悪いわけがない。


おもしろくなってきた。

生徒たちも誓約書を出してくれて

もう本格的に授業を展開している。


みんなそれぞれ必然性を持って

それぞれがシンプルに自分を貫こう。

おしまいだ。



写真は昔の愛読書。

最近読み返しました。

あらためて攻めたい気分に

なれてシンプルにうれしく

思いました。









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    川内選手

    • 2018.04.20 Friday
    • 00:47


    ずっと彼のファンでした。

    走りがエモーショナルで魂が

    こもっていて、

    それを表現できる凄みを

    彼に感じていたからです。

    前にブログも書きました。


    彼が公務員をやめてプロに転向

    とニュースで聞いて

    どうしても書きたくなりました。

    座右の銘は「現状打破」

    いい言葉です。


    しかし30歳を越えてからの決断、

    おそらくですが退路を断つため

    でしょう。走りの通りに。



    アスリートであると同時に

    捨て身になれる素敵さを

    表現できる稀有な川内選手。


    彼の活躍を祈らずには

    いられません。



    気合いを入れ直させてくれ

    るニュースはいいものですね。



    ありがとう。








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      教える内容を吟味することは塾の命である

      • 2018.04.19 Thursday
      • 23:23

       

       小6のみんな!元気があってよろしい。

      来週もがんばろうな。

       

       中2のみんな、確実にできること

      が増えたね!英数の宿題がんばれ。

       

       

       

      さて。

      今日は「塾によって授業は千差万別」って話だ。

       

      他塾に行っていたのに同一教科だと

      ほぼ講真館に塾を決めなおす生徒、

      過去にたくさんいた。

       

      もちろん私に習いたいから来る

      生徒も同じくらいたくさんいたが

      「成績が上がらない」「よくわからない」

      などの理由で私の授業を受けに来る生徒

      は一定数いた。

       

      彼らはたいていびっくりする感じになる。

      「まったく違う」と彼らは言う。

       

      何が?と聞くとほとんどこういう

      答えが返ってくる。大体こうだ。

      「答えの解説を一方的に聞くか

      演習をする時間だけが長くて今まで

      わからないのにわかった気分に

      なっていたと思いました」

       

      どう思いますか?

      しかもこれは学年や教科に関係が

      ほとんどない、というのもむごい話

      である。

       

       

      これは「教える内容を吟味せずに」

      「大学生が」「テキストをなぞった」

      結果としてこうなるに過ぎない。

      なるべくしてなった、というか。

       

      または「教務力のない自称ベテランが

      自己満足な授業を垂れ流すだけ」や

      「スキルのない自称子供好きな教師が

      えんえんとプリント演習をさせるだけ

      で芯にはノータッチ」もこの亜種に

      過ぎない。

       

      中学入学から中2の終わりまで

      こうした通塾をしてどうなってしまうか

      ご想像にお任せするが

      メンタルも学力もまだまだ不安定な

      中学生が良かれと思って通った塾で

      こうしたものに触れて覚醒するとは

      考えにくい。

       

       

       

      なぜこうしたことを書くか。

      「自分により厳しくするため」

      「もっと生徒に喜びを与えるため」

      そして、余計なお世話と言われる

      ことを覚悟で言えば、

      「生徒や保護者に塾選びの本質について

      お伝えしたい」からである。

       

      最後にもう二つ言えば、

      「自分を成長させる機会に生徒が

      触れられなければかわいそうであり」

      「何が成長の糧になるか吟味すれば

      必要なものが何かよりクリアになり

      行動指針になり得る」からである。

       

      これらの理由から以上を自分の責任で書いた。

       

       

       

      「ただ教え」「ただしゃべり」「ただやらせる」

      これは残すものを吟味していない、という点で

      生徒に何も残らない。

       

       

       

      日々、吟味を忘れず精進されたし。

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

      明日に会いたい

      • 2018.04.19 Thursday
      • 00:29

       

      時間は静かに流れ生物を育む。

       

      生物にとって時間は直接の親

      ではないがすべての生物は

      時間世界に生きる、という意味

      で時間は究極の故郷とも言えよう。

       

      それは母の愛の暖かさのような面かも

      しれない。

       

       

      いっぽうで時間には冷たい面もある。

       

      ぬるいことをやっていると

      一定の時間が経過したあと、

      そのぬるいものが赤裸々に

      あぶり出される。

      さっきまで何も言わなかった時間

      が般若の表情で突きつける

      現実の厳しさ。

      幾多の歴史事件や昨今の

      政治家失墜はすべて

      時間によってあぶり出された

      ものである。

      その静かな予定調和に震撼したい。

       

      父の厳しさのようなもの

      かもしれない。

       

       

      時間にあるこの二面性は

      生物学的父母とはまた違う

      意識を個体に与える。

      時間意識は精神をより

      立体的にする。

       

      素敵なことだ。

       

      時間は「メタ両親」かもしれない。

       

       

      家庭に親がいて世界には

      時間というメタ両親が二元的守護神

      としてあなたを守っている。

      ためらうことは何もない。

       

       

       

      時間の暖かさと厳しさ。

      それを存分に生きるために

      この命があるのか。

       

      明日に会いたい。

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

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        攻撃的内向を引き出す難単元を寿げ!

        • 2018.04.17 Tuesday
        • 22:49

         

         数僑造蓮屮魯鵐僂気魑饑笋垢覿飢福廚世ら

        苦手とする人が多い教科だ。

         

        国語はそれよりさらに平均点が下がる。理由は

        ふだん主張している通りでしかないのだが、

        「読解の論理を貫くフレームや道具立てがないまま」

        読んでいる層が大部分だからである。

         

        英語にもそれはある。

        他の単元よりも文法の内実が見えていないと

        できない単元がある。

        不定詞や関係詞を除くならば

         

        受動態と分詞と仮定法である。

        フィーリングで何とかなる、が少ない単元。

        単語やイディオムを覚えれば、でもない。

         

        点差がつきやすく読解とも直結する怖い単元。

        世界観がわからないとダメな単元。

         

        生徒はこういう単元をうまく定義づけることを

        苦手とする、理由は「覚えれば何とかなる」

        で来ているから。何ともならない。

        センターで七割は取りたい、ならば

        ただ覚えても何もできない。

         

        「覚える中心の学習姿勢」と

        「低い国語力」の合体した状態、

        かなり厳しいと言わざるを得ない。

         

        相応の時間と授業設計が必要な状態。

         

         

         

        本日、高2授業で仮定法を、

        中3授業で受動態をやった。

         

        中3に小テストをやりダメ出しもした。

         

         

         

        簡単じゃないから。

        やるしかないから。

        わかって

        やれるまでがんばるのが

        楽しいんだ。

         

         

         

        今日、生徒に心から言った。

         

        「君たちは公の集団に属しているけど

        本当にわかってやれるまで持っていくのは

        君たちという個人だよ、そういう

        努力を一緒にしようぜ?」

         

        公だから立派、公人だからどうこう。

        もうそういうのが素朴に成り立つ時代じゃない。

        実際、そのように考えている人たちが

        引き起こすイタいニュースが

        やたらと多くありませんか。

         

        あれは話にならないね。

         

        そうではなくディシプリンを自己決定・運営し

        生産性を作成・維持・向上・共有する時だ。

         

        「ディシプリンを他からの評価でなんとなく

        きれいごとを言いながら決め・それを丸投げし

        生産性を略奪・停滞・低下・独占」する、

        硬直・腐敗した時はもう終わっている。

        これらにプラスして

        「開き直り・ヘラヘラ笑い・泣き落とし、

        逃亡・ハラスメント・逆ギレ」これらが

        日々のニュースの99%。

         

         

         

        くだらないよね。

         

         

         

         

        しっかりと自分と向き合い、

        自分で自分を育てていこう。

        難しい単元はその気持ちを

        育むための肥料ですらある

        だろう。

         

        敵は社会でも難単元でもない。

         

        敵は内部にこそある。

         

        そのための「攻撃的内向」を

        すすめたいのである。

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

        内なる戦いの必然性

        • 2018.04.16 Monday
        • 23:00

         

         

        昔から「現代人は便利さを楽しむ

        だけでいいわけがない」と思ってきた。

        現代に生まれたという理由だけで

        さまざまなことを免除されたり

        簡単にすませる権力がある、

        と考えるのはあまりに傲慢で

        お手軽すぎる、みたいに。

         

        それは私が歴史を見てきた人間

        であることと関係がある。

        「自由な人間精神は唯一の時空に

        固定されるべきではない。

        だからどんな時代、現代でさえも

        現実を直視しながらもその内実を

        はぐらかしてはならない」

        と感じる。

         

        具体的には今は情報社会だ。

        しかし人はその情報を使いこなせ

        ているのか、できていない。

        便利なディバイスの中で人間は

        半分窒息しつつある。

         

         

        ここに現代人の戦いがある。

        昔は経済余剰を奪い合う他者との

        戦いがメインであったのだし

        それが二度の大戦につながった。

         

        現代は一定の生産性を確保するには

        セルフディシプリンが必要であり

        それが内的戦いの必然性を示唆する。

        つまり「志望校に行くには身を削って

        勉強し修正し己を磨きこんでいくこと」

        である。気高い戦い、なのだ!

         

         

        こうした広い意味における

        「戦い」は太古から人間にとり

        普遍的だと私は考えており、

        現代人だけがおいしいところ取り

        でこうした戦いから免除されて

        良いとは考えていない。

         

        古い格言。イギリスのだったかな。

        「あなたの耕すべきところは

        あなたの帽子の下にある」

         

        現代人にこそよくあてはまる

        言葉であろう。

         

         

         

        内なる戦いに赴こうではないか。

         

         

         

         

         

         

         

         

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          サンドウィッチマン最高

          • 2018.04.11 Wednesday
          • 23:58


          生徒とたまにお笑いの話題になる。

          彼らは高確率で

          「サンドウィッチマンが好きです」

          と言う。ホントに多い。


          いいセンスをしているネ。

          私もサンドウィッチマンが

          好きだ。ふなっしーと同じ

          くらい好き。

          ヒロシとミラクルひかると

          清水ミチコも好き。


          さてサンドウィッチマンは

          とにかく最高だ。

          別格におもしろくて上手い。

          技術も間もすべてが凄い。

          二人の掛け合いは芸術と

          思っている。


          売れないとき苦労されて

          修行したのだと思う。

          応援したい芸人さんだ。


          ただ、サンドウィッチマンが好きな

          人は彼らの分厚くて構築された

          世界観やトーンが好きなわけで。


          つまりちゃんとしたものと

          そうじゃないものを見分ける

          厳しさがあるってこと。


          だからサンドウィッチマンが

          好きな生徒たちに

          私がする授業がチャチでいいわけがない。

          逆に彼らが楽しんで納得できる

          授業ならば

          私はお笑いの人間ではないけれども

          塾教師として少しは

          サンドウィッチマンのレベルに

          接近できたことに

          なるだろうか。


          サンドウィッチマンはこのように

          ライブで楽しい漫才を見せてくれる

          以外に、私の精神的な張りに

          一役買っていただいているわけ

          だ。


          以上。


          サンドウィッチマン、万歳!












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            高3、高2指導

            • 2018.04.11 Wednesday
            • 00:18


            たった三年、ここ三年ほどで

            高校入試も大学入試も質的な

            変化を遂げたと感じている。


            論理性、もっと言えば

            「論理性を組み立てているフレーム」

            を問うようなものへシフトしてきている。


            あたり前だ。


            付け焼き刃な知識で選抜すれば

            そうした層で飽和するから学校

            のメンツそして生産性に

            かかわる。


            もっと言おうか?


            「その生産性とは脈絡をふまえた

            論理性からしか生じない」と学校

            関係者は見切っているから、選抜

            においてそこに達していない生徒は

            除外しなければならないのである。


            可哀想とは違う。


            論理性がなければ

            言葉が使えないのだから

            勉強はもちろんまともな

            コミュニケーションや

            プレゼンテーションも

            できない。


            この3つができないまま上級学校

            に行くほうがミジメで可哀想で

            ある。

            だから不合格は不合格として

            厳粛に受け止めなければならぬ。


            私は感情を軽視しない。

            むしろ逆の人間である。

            感情を大切にしたい。


            ただ「事後を悲しむよりも

            事前に攻める感情をより

            重視せよ」としたい。

            以上だ。


            小学生、中学生、高校生。

            新学期のたった2日でかなりの

            授業をしたが新学期にありがちな

            ルーチンなものは一切やっていない。

            すべてに踏み込んだ。


            週一回の授業で必要な論理性を

            担保すること。

            そうやって生徒の心身を耕すこと

            が必要でありまた価値のあること

            とだと位置付け活動してきた。


            時代は揺るぎないものをさらに

            志向している。

            のぞむところだ。


            明日以降も様々な授業を

            ひかえているが一貫させる。


            その一貫とは論理の一貫で

            もある。






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              トマス・アキナス

              • 2018.04.10 Tuesday
              • 16:50

               

              スコラ哲学とはキリスト教に

              おける武装の一形態と理解している。

              トマス・アキナスはその代表的な

              論客だった。

               

              彼は神が存在する論理的説明を

              試みた。「作出因」という、

              何かを生じさせる因子や存在を

              無限に遡ることはできない、

              だから神は存在しなければならない

              とした。

               

              のちにデカルトが宇宙誕生について

              「最初に神の一撃があった」と

              した方向性と近いものがある。

               

              数列的な思考としてはキリスト教の仇

              であったギリシャのゼノン

              を連想させる。

               

              また、もし無限遡及をすれば

              明らかな矛盾が生じると

              アキナスがしたならば、

              それは数学の背理法に

              接近した世界に通じる。

               

              なぜこんなことを書いているか。

              それは「理屈なしで覚えるのが

              文系教科ではない」とあらためて

              発信するためである。

               

              理屈が見えない知識など役に

              立たない。理屈は勉強の背骨。

               

               

              「心を使わない流すだけ勉強」と

              「理屈に触らない適当勉強」

               

              どちらもやったことがない、人は

              いまい。

              同様に、どちらかが大変有益だった人

              もなおさらいまい。

               

              春。

              透徹した精神で諸事にあたりたい

              ものである。

               

               

               

               

               

               

               

               

               

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