中2が聴いている曲、ひとつも知らないぜ(^^)

  • 2017.02.12 Sunday
  • 23:21


今日の中2英語授業で受動態導入を完結したあとに『今どんなの聴いてんの?』みたいな話になったんだよね。




POTの
JODEL


Base Ball Bearの
ブリーズ ガール


カラーボトルの
情熱の歌


だそうだ。




???『ふ〜ん、そうかあ』と言いつつ、生徒にも言ったんだけど。







わ、わからん。バンドも曲も知らない。


しかしさ、ひとつもわからないってねえ、ははは。




あとでYouTube見てみるか。







テスト前の全生徒よ、私のように『ぜんぜんわからん』とならないようがんばりたまえ(^^)




コンソレーション

  • 2017.02.12 Sunday
  • 22:39
講真館HP
http://www1.tlp.ne.jp/koushinkann/


高3から小学生まで全学年、みんながんばっている。


二次指導は佳境、他学年も次年度を見据え力を出している。




『本気でやらなきゃだめなんだ』みんなそうわかっている。


本気がスタートライン、あとはスタートラインですらない。


いいわけがましくスタートラインを見ても恐怖感しかわかないはずだ。もしそうならばゴールラインを語る資格などない。




何のためのスタートでありゴールなのか。




良く生きるためである。そう生きて初めて、スタートやゴールはその実質を生み出せる。




くっきりした世界とは心と同調した時、初めて現れる。これはプラトンよりもアリストテレスに近く、しかしより力動的な世界観だろう。


イデア的でもあるし経験的でもある。それら諸世界を統合する主体の力を一人称的に称揚する点ではヒューム主義も見られるだろう。


これらは教師として生きた結果得られた感触である。若いとき哲学は学んだが強い体系としての印象はなかった。


今、はっきりと彼らが言いたかったことがわかる。少しは私が『生きてこれた』からわかったのかもしれない。




激しく生きるというのは途方もない慰めであろう。



創立記念日〜10年目に入りました

  • 2017.02.11 Saturday
  • 10:36
講真館HP
http://www1.tlp.ne.jp/koushinkann/




あらためてよろしくお願いします。




勉強は楽しい

  • 2017.02.10 Friday
  • 14:07
講真館HP
http://www1.tlp.ne.jp/koushinkann/




勉強をして意識の何かが縮む、ということはあるまい。つまり拡大する。


そうなれば本人は心の中で『やれるかも』と自分に期待してさらにやろうとするだろう。悪くない。


また客観的には、数値としての成績にも変化が出る確率は高まるだろう。こうした外部の事象にも期待がもてていくはずだ。




つまり勉強することで、こうした内外の拡大が高揚感をもたらすのだ。




人生初期の高揚感がどれほど大切か大人はわかるはずだ。


そして、資本主義を金融政策で延命しているように見えるこの世界、いわゆる拡大があまり期待できなくなってきたこの世界において『勉強における意識と能力の戦略的拡大』を志向する痛快な逆説を選択する気概を称揚し推進するものである。




こうした意識を形にしていく場が講真館である。




いささかの迷いもない。




今日はなんと良い天気であろう。





イメージなき現実はつらかった。つらい現実もイメージがあれば何でもなかった。

  • 2017.02.07 Tuesday
  • 23:27
講真館HP
http://www1.tlp.ne.jp/koushinkann/


イメージや気骨があればたいていのことは耐えられる、というかつらい試練さえもチャレンジすべきことのように思えてくる。


船が進路を持って進むように人はイメージを携えて生きる生物ではないだろうか。

『何も考えられないくらい忙しいとだんだん心がボロボロになる』というのは、人がイメージそのものにふるさとがある証拠だろう。




イメージとは尽きぬ源泉のようなものでありイメージにこだわることをやめるとか続けるとかそう卑小な話のものでは本来ない。


そうなのにたとえば『簡単にすまそう』『はしょろう』『手を抜こう』みたいな考えをしたことが誰しもあるはずだ。


それはわかる。わかるのだがそれは結局『大切な内的イメージが外部の事実に制圧され、やればいいんだろ的動作のもとにイメージが踏みにじられていく』凄惨な有様と言えなくもない。




あなた自身は一人の人間である。同時にあなたがあなた自身を『イメージと肉体の化合物』ととらえ両方を尊重する中で いい動きが出てくるはずだ。




イメージ。あなたの豊かな内的資源、それは見えないが地球上でもっとも有益な可能態のひとつである。あなたはそれを現実化するために存在している、とすら言えよう。




明日はいろんな中学で定期テスト初日だ。



しっかりね。





確信していること。

  • 2017.02.07 Tuesday
  • 13:22
講真館HP
http://www1.tlp.ne.jp/koushinkann/


飛躍とは勉強に限らない。何にでもある。ただ、飛躍できるかできないかには『ある臨界点』がある。


飛躍とは『五感を統合でき対象にあたることができ、それが安定していく結果』である。この内的統合こそが臨界点である。




この文章の大切さがおわかりだろうか?


この文章の前半ができていない状態のまま、後半だけを鍛えてもダメなのだ。これは絶対的なものだ。



両者に気を配りながら内的成長を促すストロークが、家庭や教師にはまず必要である。結果はその土台に乗る。実際、文章前半が充実している人は講真館での成績アップがめざましい。充実していない人もがんばる楽しさが内面化されれば改善していく。


ここは待ったなしの勝負なのだ。安っぽい共感だけ、結果だけを求めることだけ、ただ従わせたり放置すること。日常でこれらはたいへんに多いわけだが、これらは『内的統合・成長』に寄与しないから、だから良くないのである。




長らくこのブログを読んでいただいている方にはわかると思うが、来年度に向けて講真館らしさをさらに強く打ち出す。自分でも自信にあふれているのがわかる。




理論と実践を高度に調和させる。




しっかりやる、みんなもがんばってくれ。


ボンジュール

  • 2017.02.06 Monday
  • 13:22
講真館HP
http://www1.tlp.ne.jp/koushinkann/


フランス出身の真島です。


すみません冗談です。


日本は好きですが精神においてはコスモポリタンつまり世界市民でいたいです。あらゆるドグマを排し澄み切った視線を保たなければなりません。


私の肉体は日本人で日本語を用いますがどこかでそれを中立化しなければならないとは考えてきました。国籍は条件でしかないというように。


高校生のときはややわからないながらもカミュやカフカや安部公房 を読んでいました。カミュの乾いた心地よさやカフカと安部のモノトーンな無機が好きでした。

大学でフランス語をやったとき『ああ、この言語で書くと乾いた質感が出るだろうなあ』とわかりました。


それよりはウェットな日本語で、私はやはりいい意味での乾燥を出したいのかもしれません。




昨日、理科でジュールの問題を細かくやりました。その記憶のかけらをフランス語とかけてダジャレにしたのが今日のブログタイトルでした。




すみませんでした。乾きましたか?




日々の丸つけ、雑務、二次対策、受験対策、テスト対策、小テスト、ふりかえ、ブッキング、体験、次年度チラシ、次年度プラン・・・




乾いたいい風が吹いている。ボンジュール風くんたち。








『風にふかれて』

言葉に現れるもの

  • 2017.02.05 Sunday
  • 17:37
講真館HP
http://www1.tlp.ne.jp/koushinkann/


二つの言葉を比べてほしい。




『志を育てていただいてありがとうございます』


『そちらに通わせれば絶対に成績上がるんですか?』




どちらも教師として保護者に言われたことのある言葉である。


前者と後者、どちらの言葉にも意味が込められている。どちらにも対応できるプロフェッショナルでいなければならない。




ただ、言葉とは現実の鏡である、という立場からすれば二つの言葉の間にある溝は小さくはない。




これらの言葉とは『日常、子供をどのように親が見ているか』が反映したものだ。それが家庭内の空気をそれぞれ規定している。




私の立場は、志がないうちは成果は少ない、という立場である。


だから担当する生徒の志があまりに少ない場合はそれを育てることも大切だからそれを含んだ授業設計になる。自然に勉強を通じて生徒を育てているような流れになる。




言葉には温度差や溝はあるだろう。しかしそれはひとつの条件に過ぎない。決定条件ではない。




その生徒に必要なスタンスとは、上述したように単に解答する能力だけを見ていればいいのではない。


その生徒の世界観を凝視し尊重しうまく変容しつつ、結果も出させる。




簡単であり簡単でないタスク。私はこういう仕事に向かう塾教師である。




次は中2英語だ。






生徒の内なる喜びが私の収穫である

  • 2017.02.04 Saturday
  • 23:23
講真館HP
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中3生受験生の英語社会をほぼ仕上げた。あとは最終的仕上げだけだ。


小学生英語。講真館流に国語知識をふまえつつじっくりとやった。私は『ただ知っているだけ』みたいな授業はしない。その方向性に学年は関係ない。初学者だからこそ守るべきものを崩してはならない。


中2英語。テスト結果に手応えを感じられたというのが何よりだ。が、課題もあったらしい。その気づきが大切。だからそれを育ててさらなるトライをしてほしい。


中1数学。作図や平面空間図形の実戦的問題をやりテスト前に備えた。まだまだやれるはずだ。ワークやテキストで追い込め。粘着力はついている。トライだ。

高2英語。実に進歩した。九月入塾時に比べ、かなり読めるようになっている。努力が実ってきたということだ。本人も私もうれしかった、と思う。




二月は『真島、おまえは一年何をやってきたんだい?』という厳しい評価の月だと思っている。生徒全員に力を尽くすのはあたり前でそうではなく『何を生徒に残したか』が大切なのだ。


彼らの中で息づきパフォーマンスに現れものが私の仕事の質を意味する。もちろん完全ではないだろうそれはありえないが、できるだけそれに近づけるためにはを考え実行できなければならない。




ただ今日の生徒の様子から見ると悪くはない、ようだ。それは私にとって『うれしい収穫』なのであった。


明日も授業のほかにテスト対策イベントもある。




みんなでまたがんばろうじゃないか。




手強い総合性、それを見据えよ

  • 2017.02.04 Saturday
  • 13:38
講真館HP
http://www1.tlp.ne.jp/koushinkann/



人間は不完全な存在であるがゆえに完全性にあこがれる。


自分に良い完全性に近いものをもたらしてくれるかもしれない、という人が親しい人なのでありヒット商品なのである。




しかしそれらは自分の外にある。内なるものではない。そここそが重要だ。




自らの中に、完全に近いものを求めるには練習しかない。だから内なる完全、とは恐ろしく地味な反復によってのみ成り立つものでしかない。




こうした完全性にセンスなどは関係ない。『その完全性への意志とそれに報いる覚悟と実践』だけがそれに寄与するのみである。その覚悟とは自分で見つけるものである。




昔こんな塾があった。『こうすればできる、勢いを持ってみんなで攻めていこう』こうした集団心理たっぷりなこの塾は、難関校に合格者をほとんど出すことができず分解し新潟から撤退した。


理由は簡単だ。




結果を出すために必要な『静かな総合性』でなく外部性の強いてっとり早さや集団心理に強く依拠していたからである。




ちゃんとした勉強は勢いや思いつきではできない。




志望校も大切だが、現二年生は自分の最深部を省みるべきである。総合性のために。




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